2007年10月29日

一日という時間の独立性を想う

wrriten at 2007年1月15日(月)8:38

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※画像:敬愛なるまったけ館長のblogの記事より
転載させていただきました。http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/23009908.html



我々人間は、「時間を刻んでいる」。
掴みようがない、流れを、刻んでいる
それにより、実態のない時間に「追われ」たりする。
そして、心を亡くす。
心を亡くすと書いて、「いそがしい(忙しい)」と読む。


流れればいいじゃないか、と、常々、想う。


しかし、「意識的に時間の独立性を想う」って、
なんて素敵なんだろう、と、思わせてくれた、一通の手紙がある。



あたしが誕生した月日。
毎年、この日だけは、必ず、郵便が届く。


力強い、字で、熱く、さりげなく、粋な手紙が届く。

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雨の日も、雪の日も、嵐の日も、
「好い雨の日」「好い雪の日」「好い嵐の日」なのである。

意識的に一日という時間の独立性を想うのである。
昨日が雨だったことと、今日が雨であることは基本的に関係ない。
昨日と関係なく新しい一日に出逢ったのだから、
それが、雨であろうと嵐であろうと、皆、
新鮮で好い日なのである。


  「「日日是好日」」

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生きていられる時間は限られている。
しかし、何も否定的になることはない。

先に記した手紙には、こう添えられていた。

「「お互いに今を愉しもう。今という時間を殺さないように・・・。
楽しいことをするのではなく。することを愉しむ。」」と。


時刻という文化を少しだけ、好きになった。


生活とは、文化である、と、想う。
posted by 道化師らずる at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去Log書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月28日

∞Links...∞

wrriten at 2007年10月08日22:29

この世は、
セル画のように
幾重も織り成されてひとつの絵になるように
できているモノなんだって

あたしの肉体を通して、いくつもの魂が、
幾つもの次元を行き来してるってコト?

幾つモノ時世の記憶を、あたしの肉体に
埋め込んだり射精したりしてるってコト?


じゃあ、あんなにお喋りだったあの娘の痛みや言葉や記憶は、
誰のものでもないってコト?


そうね、彼女はよく言ってた。

8852.jpg

  「あたしの言葉は、
   あたしの肉体から発した時点で、
   あたしのモノじゃなくなるから・・・」
って。




※画像「「夜道」」作画:林 歩右未 




繋がって繋がって重なって交わって、混沌とすればするほど、
整然としていって欲しいと願う。
貝になって、砂になって、母なる生命の大海に抱かれて、
プクンて、クラムボンが笑うみたいに、
消えたいんだ。
posted by 道化師らずる at 00:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 過去Log書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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