2008年01月06日

motion



これまで

知り過ぎるという行為は

自分が生ける上で

進化し退化する”限界”を生むと考えてきた。



しかし

”知る”に纏わる物事は

”足るを知らぬ”と

今日この佳日に知る。



posted by 道化師らずる at 00:43| Comment(2) | TrackBack(0) | バイブル・モチベーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月04日

'08 書初め



080101_134047.JPG


年が明け早数日。
皆様、日常という現実に戻り如何お過ごしでしょうか。

あたくし「貴方にも、あたしにも、今年も宜しく御願い致します」と、
そんな風に新しい年と出逢う事ができました。

ただただ、その事実を単純に喜ばしく想います。
空が清々しく晴れ渡っていると気分が良いのと同じように。


本年も「「道化師らずる」」をどうか御愛顧くださいますよう
御願い申し上げます。


そう、自分のHNに「「道化師」」と銘打ち1年余りが経ちました。


昨年2007年を達観すれば、
まさに「「道化師」」らしさに磨きがかかった、
そんな年でした。

誰かの為に泣き、誰かの為に笑い、誰かの為に鬼に成り、
誰かの為に自分の血肉を削ぎ、
それもこれも自我の恍惚と構築の為。
鳴き喚き笑い狂い自失し、構築しては自滅し、
とにかく踊りに踊った気が致します。


具体的に何があったかと聞かれれば、
まぁ、大して皆様と差異はないと想います。

様々な人間や関係性の変化との出会い。
それによる未開の文化との出会い。
自己に対する反省。

生きていれば、そんな事、当たり前の事で御座います。

そう、生きていれば。

引きこもりの病床にいた頃は、
生きる事も死ぬ事もできないという
「生きそこない・死に損ない」現象でしたから、
それに比べ、昨年1年は、
「必死」に「生きた」と実感できるので御座います。

あらゆる出会いと丁寧に向き合い対応し、
昇華する”努力”をしてきたと自負できるのであります。


周囲の方々の多大な温情によるものに他ならないのと同時に
その昇華作業に伴い、周囲の人間に大なり小なり影響を塗しました。

巻き込んだというのは、なんとも”おこがましい”表現でありますが、
結果的に巻き込んでしまった方に対しては、労いを処する気持ちでおります。

「申し訳ない」というよりも、
「労いたい」という所存なのです。

それが人道というものでありましょう。
浮世は人に尽くしてなんぼ、人に尽くして徳となる。
ド変態ドM畜生からする「人道」では御座いますが・・・。

たらたらと書き垂らしておりますが、
この記事を書くにあたってのモチベーションがそれなりにあるのです。

小生、ある事を思い出したのであります。

いつでしたか、ふうむ・・・もう7年いや10年前になりますでしょうか、
自らの書棚から「国語辞典」を引っ張りだし、
徐に「「執着」」という言葉の部分を黒く塗りつぶしたのです。

兎にも角にも、
己の中にある「「執着心」」が邪魔っけで致し方なかったのです。
それで衝動的に起こした行動が、辞書のその部分を塗りつぶすだなんて、
なんとも幼稚であり、素直であるなぁ、と今の時分は想います。

しかし、悪戯に文字を塗りつぶしたとて、
それは単なる上塗り、逃げ口上にもならん
と、
新年のとある今日日に想うたのであります。

結局、
これまでの幾歳、
己の中にうごめく”執着心”と向き合う事から目を背けたかっただけの話。

他に見える執着心に、己を省み、
嗚呼・・・、と、思わずため息を何度もついたことか。


本日も目覚めてからずっと、
「「執着」」これについて、思いを巡らせ、
ふわふわと飛び回ってみたり、
テクテクと歩きまわってみたり、
フンと鼻息を吐きながら宙を仰いでみたりしましたが、
着地点がどうにも見当たりません。

着地点が見当たらないまま、その事を記すれば、
案外と見えてくるものでありますな。

否定してもしきれない執着のベクトルを
ポジティブにすればいい
だけの話でありんす。


実際、あたくし、この1年余り、

「誰かの為に泣き、誰かの為に笑い、誰かの為に鬼に成り、
誰かの為に自分の血肉を削ぎ、
それもこれも自我の恍惚と構築の為」


と、己にとことん執着してきたではありませんか。

ワハハハ

なんて単純明快、そして相変わらず奇奇怪怪

やはり、あたくし道化師らずるは、
年が明けても自己完結型変態畜生なのであります。

改めて、重ね重ね、
本年も「「道化師らずる」」をどうか御愛顧くださいますよう
御願い申し上げます。









posted by 道化師らずる at 15:52| Comment(2) | TrackBack(0) | バイブル・モチベーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月26日

「「Overdose ∞ Supernova 」」




もう何年前だったか、生まれて初めてODした時、
まだあたしは、
「OD」なんて言葉の意味も、響きすら聴いた事がなかった。

死にたかった訳でもなかったけど、
ただ、ただ、その日その朝、その手と足で、何ができなくて、
何だったらできるか考えた結果、
自分の持ち合わせている薬を全部飲み干すしかなかっただけだった。

学校に行きたくなくて、お腹が痛いふりしたり、
体温計に息を吹きかけて仮病を使うのと同じくらいの事だった、本当に。

今想えば、目の前の現実から逃れて必死に生きる為だった。

実家の居間のソファーで目を醒ましたのは、それから3日後の事。
大酒を喰らっても、3日間記憶を失う事なんて、無いナイ、無かった。


目醒めてからの記憶もあまりないのだけれど、
あたしなりに「必死に生きようとした」結果だろうか、
すごく、スッキリしてたと想う。


だって、その数ヵ月後には、あたし、京都に居た。
しかも、お仕事で。

友人から、簡単なデータ入力作業と資料作成等々の
短期契約の仕事を、紹介してもらった。
友人とは、あたしが生まれて初めてのODをして、サボって辞めた職場で
1番仲良しだった年下の社員さん、あたしは事務員のパート。
要は、あたしがバっくれて辞めた会社から出向している取引先が、
何も知らずに、不届きモノをバイトで雇ってくれるという話。
「仕事も単純作業だしさ、リハビリ程度にいいんじゃない?
後半は京都が現場になるから、京都一緒に行こうよ。」


京都と言う、謳い文句に誘われ、
あたしは、いけしゃあしゃあと、そのお船に乗らせて頂いた。


仕事を紹介してくれた友人以外、あたしの事を誰も何も知らない職場で。
あたしの事を誰も何も知らない、晩夏の京都へ。


誰も知らないはずなのに、
京都の宿泊先に、あたし宛に荷物が届いていた。


元気が出る色の象徴、鮮やかな黄色がメインのアレンジメント。


メッセージカードに



「実りある京都滞在になりますように。
 貴女の、弱さも強さも、私は好きです。」
とあった。


愛知県にいる、あたしの大好きな女性、Kさんからだった。

空白の3日間に至るまでの、
わずか5年間足らずの過去にしか登場しないのに
Kさんは、絶大の存在だった。

しかも、年が近いわけでもない、毎日のように逢っていたわけでもない、
実際、顔を合わせたのは、片手で数えられる程しかない。
有難い事に、Kさんの中に、糞生意気な可愛いオナゴ友達として
あたしは存在してた。


空白の3日間から生還して、あたしは、
何の前触れもなく、Kさんに連絡をした。
Kさんとの空白の時は、もっともっと遥かに長いのに、
つい昨日も新宿の片隅で、肩を並べてDarkRumを一緒に呑んでいた
かのようだった。


その時、愛知を通り越して京都へ行くなら、
名古屋にホテル取るか、呑もうよ、なんて話をしたんだった。

「(宿泊先なんて教えたっけ・・・?)」
でも、現に目の前に、Kさんの書いた文字があったんだもん。


「貴方の弱さも強さも、私は好きです」


Cardは、今でも、部屋の中に飾ってある。
Cardなんて見なくても、今でも、黄色いアレンジメントとその言葉は、
あたしの血を吸って活き活きとしている。


あれからもう幾度も幾度も、晩夏も初秋も越えてきて、
まだまだまだまだ、自分の弱さも強さも認められていないのに、
Kさんは、ずっとずっと黙って認めてくれている。

その京都滞在の際には、Kさんと逢うことは適わず、
Kさんが、20代のあたしの姿を知らないまま、
あたしはもうすぐ30歳になる。


今年の正月の年賀状は、一方通行だった。
それでも、あたしは、Kさんの中で認めてもらってるという自信を
保たんとする事ができる。


何故、今日、この日この時に、
この事を、ヒトの目に晒そうと想ったかは、わからなくていい。
わかっていたとして、わからなくても、いい。
理由なんて、本当に、どうでもいい。


出会いなんてものは、そんなものだ。
そんなものでいい。





知ってた?
あたし、この曲を聴くと身動きがとれなくなるんだ。

For My EveryEveything From 道化師らずる





「あたしは、
 あなたの弱さも強さも、強がりも好きです。」




posted by 道化師らずる at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | バイブル・モチベーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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