2007年10月08日

「「終身刑という考え方」」

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初めてblogを立ち上げたときには、真っ黒な画面に、フォントはグレー、タイトルは「「鬱々日記」」。
芸も色気もない、ただ、本当に、黒々とした鬱々した雰囲気がわかりやすい画面にニヤついてた。

「「終身刑の部屋」」に切り替えたのは、退院してからだっけ、か?入院前だっけ、か?
でも、入退院がキッカケだったのは確か。

数年に渡る主治医や親のすすめにも、ずっと首を横に振り続け、やっと自分で踏み切ることに決めた入院生活というそれは、ゴールが目の前に見えるがいくら足で地を蹴っても歩が進まない夢の中で走っているような
はたまた、目の前にお花畑が見えていてよい香りまばゆい光に溢れているのに、足元には、剣山があるような、過酷な試練であった。


「喜びはおろか、痛みをも感じない鬱状態」というあたしの「免罪符」とも言えるベールを一枚剥ぎ、
むき出しになった血肉に、突き刺さる現実、見て見ぬふりをしてきた時間、出来事、己の怠慢、恐怖、欲求が、グサリグサリと向かってきた。


痛かった。自分の感情の緩急が激しさに、自分ですら太刀打ちできず、なされるがままだった。

あたしが、「あたし」と闘って、「あたし」を一皮ガバっと脱いで、開き直れた時、目の前にいたのは母だった。

あたしが痛みをも感じられないときには変わって痛みを受け続けてくれ、
あたしが痛みと闘っているときも、じっと、我が子を信じて誇りという灯りを灯し続けてくれた、その母親の両肩にすがりつき、
「・・・あたし、生きるよ・・・生まれてきて今までの時間を無駄にしてきたこと浅はかに生きてきたこと粗末にしたことの罪を償うために・・・終身刑を背負って、生きる・・・」と、涙声は心を綴った。

自分の中での気づきだった。十字架を背負ったイエスが洗礼を授けてくれておられるかの如く、
ポツリポツリと降り注いだ感覚であったと記憶する。
(※日本国の刑法の罰則に、「終身刑」は存在しません)


入院中に改めて知った、
母親は洗礼を受けたクリスチャンであったことを。(信教)
しかし、母の誇りである父の眠る日蓮宗が護る墓に骨を埋めると誓った母。
神も仏もあたしの味方であられたのだ。

なぜ、あたしは、今、このようなことを綴っているのか・・・、わからない。
最近のあたしは、理屈や理由では心情や行動を表せないモノがある。
ただただ、惜しみなく、あたしの血肉をこの俗世に捧げたいという想いだけ。

自ら命を絶ったりしない、まだまだ、刑期は続く。

自分の可能性は如何ほどかわからないが。
花粉程度でもイィ、ほのかに臭いが残るだけでもイィ。
あたしというこの如何ほどの可能性を秘めているかわからない空間のOnePieceを、
残さず消耗させて頂きたい。

2007/2/23(金) 午後 8:39 記す

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